サンタクロースの嘘/サンタクロースは実在しない
クリスマスにサンタが子供達にプレゼントを配るという嘘をいつまで続けるのでしょうか
純粋な子供の心を踏み躙る行為だと気づいていない人が多いと感じています
私はサンタクロースという嘘によって純粋な心を壊されました
サンタクロースのことなんか信じていたの?と馬鹿にされることがよくありますが、信じていました、本当に
忘れもしません
あれは私が中学一年生の11月25日の11時半頃のことです。この日のことが今の考え方に大きく影響していると思います。
(ここからしばらく回想にお付き合い下さい)
よく晴れ、冬にしては珍しく暖かい日の事でした
その日は休みで、家族全員家にいました。私以外の家族は1階のリビングにいて、私は2階にいました。すると母が私を呼ぶので下に降りていくと何やら様子がおかしい。母、父、姉の顔つきからして真剣な話だとすぐに察すると同時に嫌な感じもした
その予感は的中してしまった
サンタクロースは実在せずその正体は両親だったという知りたくもなかった残酷な事実を告げられたのです
それを聞いた私は耐えきれず号泣してしまいました
私は本当に信じていたのです
サンタクロースなる人物が実在し、家を回ってプレゼントを配っていると
両親は少し笑いながら、気がついていると思っていたと言っていた
両親は上手だった、上手すぎてしまったのだ
サンタクロースのことを信じ、疑うことをしなかった当時の私にはあまりにも残酷でとても辛いことでした
小学校でサンタクロースの話題になることはあった
その時は信じる人と正体は親だと云う人、だいたい半々ぐらいで別れていた。
中学になるとクラスでサンタクロースを信じている人はついに私だけになってしまった
誰も味方がいないにもかかわらず信じ続けていました
他の家には来ない
私の家にはサンタクロースが来る
そう思っていたのです
どれだけクラスメイトから馬鹿にされようとも信じることをやめませんでした
お前まだサンタクロースなんか信じてるのかよ
サンタなんかいるはずないじゃん
などと馬鹿にされることもありました
サンタクロースが来ないなんて可哀想な人達、と思うだけで疑うことをせず、そのまま信じていました
私にはサンタクロースの存在を疑う理由が無かった
それどころか信じる理由しかなかったのです
両親は、サンタクロースの存在を信じ込ませ、子供に喜んでもらおうと必死に工夫を凝らしていました
クリスマスになるとフィンランドにあるサンタクロース村から手紙が届き、手紙と一緒にプレゼントが枕元に置いてありました
幼い私にはそれだけで十分信じる理由になった
しかしここで終わりではありません
ある年、母の仕事が忙しく、12月24日〜25日にかけ母方の祖父母宅に泊まることになりました
その時私は自宅の枕元に、ある手紙を置いてから祖父母宅に向かいました
その手紙の内容は、サンタクロースに自分の居場所を教え、プレゼントを自宅ではなく祖父母宅まで持ってきて貰えるようにお願いするものでした
ただお願いするだけではなく、別の意味も込めて書きました
両親は届けることができない状態でプレゼントが届いたならサンタクロースは実在するということが言えるのではないか、と幼いながらにサンタクロースの実在性を証明しようとしていました
低学年の頃からサンタクロースの正体が親であるということを知っていた人はいましたから、その話を聞き、疑うということをしました
子供よりも大人は上手です
なんと母親が仕事が終わってから夜中の2時か3時ぐらいに祖父母宅に来て枕元にプレゼントを置いていったのです
そんなことを知らない私は朝起きた時に本当に驚いたことを覚えています
その時、サンタクロースへの疑いが晴れ、サンタクロースは親ではなく実在するという確信になったのです
他にも、サインを書いて欲しいと書いたメモ用紙をおいておき、サインを書いて貰ったこともある
後から聞いた話によれば、父が筆記体で"Thank You"と書いただけだったのだが、当時の私は父が筆記体で英語を書けるということも知らないからそのサインを父が書いたと思いもよらなかった
サンタクロースに差し入れとしてみかんを置いたこともあった
それも父が食べた
サンタクロースが食べたと信じている私に合わせ、父も一緒になって驚いていた(正確に言うとフリをしていたのだが)
サンタクロースとは1年で一度しか距離が近づくことは無いが、その分記憶としては色濃くいつまでも残っている
そんな色濃く残る記憶の数々に中学一年生の11月25日に急に大きな刃を打ち込まれたのだ
サンタクロースは実在しない。正体は親だと疑う気持ちが大きければ、やっぱそうだよねと納得できるかもしれないが、私には無理な話である
周囲の言葉を気にせず信じていた私にとって事実はあまりにも重く痛いものだった
サンタクロースとの思い出だと思っていたものは全てまやかしで、その時に感じていたものはなんだったのか
みかんが食べられているのを見て一緒になって驚いていた父の表情を思い出すと、とてつもなく苦しくなる
自分が食べたということを分かっていながら驚いたフリをしていた時、どんな気持ちだったのだろうか
目の前で驚いている自分の子供を騙しているという自覚はあったのだろうか(騙すなんて気はなく、喜ばせたいという気持ちだだったと思うが)
今更聞いも覚えていないであろうことまで考えてしまう
"サンタクロース"から特別感のある不思議なプレゼントを貰えて喜んでいた時間はなんだったのか
嬉しかったその記憶が何か別のもになってしまった
疑ってから信じていただけに傷は大きい
親が子を喜ばせたいという気持ちはありがたいのだけれど、あまり凝らずに見破られるぐらいがちょうど良いのではないか
もう10年近く経つのにこの出来事はずっと残ったまま、思い出すと辛くなる