お月見団子の積み方 /十五夜と十三夜の違い
十五夜と十三夜
十五夜や、十三夜ってそもそもなんのこと?
15日でも13日でもないのに十五夜や十三夜と言っていて不思議に思ったことはありませんか?
現在使っている暦である太陽暦は、地球が太陽を回る1周期を1年としていますが、太陽暦は明治時代から使われ始めたものです。江戸時代まで使っていた暦である太陰暦(旧暦)は、月の満ち欠けを基準に1ヶ月を決めていました
月の満ち欠けのことを人のように年齢で表したものを月齢と言います。月の満ち欠けの周期は平均約29.5日であり、その半分の約14.8日ぐらいが満月の月齢です。月の満ち欠けは、毎月一定ではないので29.3日〜29.8日ぐらいの幅があります
十五夜は太陰暦15日目の夕方に出る月のことですが、太陰暦15日は月齢14.0日を含む日であって月齢15.0日を含む日ではありません
ここが月のややこしいところですねぇ、、、
そして、十三夜は太陰暦13日の夕方に昇る月のことです
毎月月齢が変わるので定期的に月例カレンダーをチェックすると面白いですよ〜
旧暦では毎月15日が十五夜ですが、最近では、月見行事の中秋の名月のことを指して十五夜と呼ぶことが多いようです。同じように十三夜も月見行事のことを指して使われています
中秋と名月
中秋の名月と何気なく使っていると思いますが、中秋と名月の意味を理解している人はあまり多くないと思います。名月は、名○○という形で、名門校や名監督など他にも使われているので想像できますが、中秋は分かりづらいですね
先程書いた太陰暦では、7,8,9月が秋にあたるとされ、中秋はその真ん中の8月のことを指します
秋の真ん中である中秋(旧暦8月)に見える月は、空気が澄んでいて特に美しく見えることから、太陰暦8月15日に見える満月のことを中秋の名月と呼び、お月見をするようになりました
十五夜の日に芋類の収穫祝いをやったことから、十五夜は芋名月とも呼ばれているみたいです。
十三夜も十五夜のような別名があり、栗の採れる頃なので栗名月とも呼ばれているようです。
十三夜
十五夜は太陰暦8月15日にあたる日の月のことですが、十三夜はいつなのか
十三夜は十五夜に次いで美しいとされている月のことで、十五夜から約1ヶ月先の太陰暦9月13日に見ることができます。今年(2020年)は10月29日が太陰暦の9月13日にあたる日なので、9月でも13日でもない10月29日の月が十三夜になります
お月見団子
十五夜と十三夜では積み方が違う?
お月見といえば団子!三方に積まれた団子が目に浮かびますね
多くの人が想像するのは、3段に積まれたものではないでしょうか。3段に積むのは十五夜で、十三夜は2段に積みます。これは十五夜は15個の団子を使いますが十三夜では13個の団子を使うからです。
積んでいくっ!
十五夜の日も団子を食べましたが、積まないどころか月を見ずに食べてしまったので、十三夜こそ積んで月を見てから食べようと思います
三方が家になかったので代わりのものを使いました。
まずは、一段目に9個並べます。ウミガメの卵のような真ん丸だと死者の枕元に供える枕だんごに通じてしまい、縁起が悪いので少し潰すと良いそうです
次に二段目に残りの4個置いたら完成です
十五夜の三段に積まれた団子を見慣れているので二段だと不思議な感じがしますね〜
前述したように十三夜は、栗名月と呼ばれているので栗きんとんも一緒に置いてみました
栗きんとんと聞くと、お正月に食べる栗きんとんを想像しますが、同じ名前で違う和菓子があります。最近栗きんとんにハマりまして、、毎週栗きんとんを食べています。美味しい!!
お月見楽しみましょ〜
月齢のことは国立天文台のホームページがわかりやすいのでおすすめです。
写真は全て自分で撮りました。月の写真は望遠鏡にカメラを付けて撮影しました
サンタクロースの嘘/サンタクロースは実在しない
クリスマスにサンタが子供達にプレゼントを配るという嘘をいつまで続けるのでしょうか
純粋な子供の心を踏み躙る行為だと気づいていない人が多いと感じています
私はサンタクロースという嘘によって純粋な心を壊されました
サンタクロースのことなんか信じていたの?と馬鹿にされることがよくありますが、信じていました、本当に
忘れもしません
あれは私が中学一年生の11月25日の11時半頃のことです。この日のことが今の考え方に大きく影響していると思います。
(ここからしばらく回想にお付き合い下さい)
よく晴れ、冬にしては珍しく暖かい日の事でした
その日は休みで、家族全員家にいました。私以外の家族は1階のリビングにいて、私は2階にいました。すると母が私を呼ぶので下に降りていくと何やら様子がおかしい。母、父、姉の顔つきからして真剣な話だとすぐに察すると同時に嫌な感じもした
その予感は的中してしまった
サンタクロースは実在せずその正体は両親だったという知りたくもなかった残酷な事実を告げられたのです
それを聞いた私は耐えきれず号泣してしまいました
私は本当に信じていたのです
サンタクロースなる人物が実在し、家を回ってプレゼントを配っていると
両親は少し笑いながら、気がついていると思っていたと言っていた
両親は上手だった、上手すぎてしまったのだ
サンタクロースのことを信じ、疑うことをしなかった当時の私にはあまりにも残酷でとても辛いことでした
小学校でサンタクロースの話題になることはあった
その時は信じる人と正体は親だと云う人、だいたい半々ぐらいで別れていた。
中学になるとクラスでサンタクロースを信じている人はついに私だけになってしまった
誰も味方がいないにもかかわらず信じ続けていました
他の家には来ない
私の家にはサンタクロースが来る
そう思っていたのです
どれだけクラスメイトから馬鹿にされようとも信じることをやめませんでした
お前まだサンタクロースなんか信じてるのかよ
サンタなんかいるはずないじゃん
などと馬鹿にされることもありました
サンタクロースが来ないなんて可哀想な人達、と思うだけで疑うことをせず、そのまま信じていました
私にはサンタクロースの存在を疑う理由が無かった
それどころか信じる理由しかなかったのです
両親は、サンタクロースの存在を信じ込ませ、子供に喜んでもらおうと必死に工夫を凝らしていました
クリスマスになるとフィンランドにあるサンタクロース村から手紙が届き、手紙と一緒にプレゼントが枕元に置いてありました
幼い私にはそれだけで十分信じる理由になった
しかしここで終わりではありません
ある年、母の仕事が忙しく、12月24日〜25日にかけ母方の祖父母宅に泊まることになりました
その時私は自宅の枕元に、ある手紙を置いてから祖父母宅に向かいました
その手紙の内容は、サンタクロースに自分の居場所を教え、プレゼントを自宅ではなく祖父母宅まで持ってきて貰えるようにお願いするものでした
ただお願いするだけではなく、別の意味も込めて書きました
両親は届けることができない状態でプレゼントが届いたならサンタクロースは実在するということが言えるのではないか、と幼いながらにサンタクロースの実在性を証明しようとしていました
低学年の頃からサンタクロースの正体が親であるということを知っていた人はいましたから、その話を聞き、疑うということをしました
子供よりも大人は上手です
なんと母親が仕事が終わってから夜中の2時か3時ぐらいに祖父母宅に来て枕元にプレゼントを置いていったのです
そんなことを知らない私は朝起きた時に本当に驚いたことを覚えています
その時、サンタクロースへの疑いが晴れ、サンタクロースは親ではなく実在するという確信になったのです
他にも、サインを書いて欲しいと書いたメモ用紙をおいておき、サインを書いて貰ったこともある
後から聞いた話によれば、父が筆記体で"Thank You"と書いただけだったのだが、当時の私は父が筆記体で英語を書けるということも知らないからそのサインを父が書いたと思いもよらなかった
サンタクロースに差し入れとしてみかんを置いたこともあった
それも父が食べた
サンタクロースが食べたと信じている私に合わせ、父も一緒になって驚いていた(正確に言うとフリをしていたのだが)
サンタクロースとは1年で一度しか距離が近づくことは無いが、その分記憶としては色濃くいつまでも残っている
そんな色濃く残る記憶の数々に中学一年生の11月25日に急に大きな刃を打ち込まれたのだ
サンタクロースは実在しない。正体は親だと疑う気持ちが大きければ、やっぱそうだよねと納得できるかもしれないが、私には無理な話である
周囲の言葉を気にせず信じていた私にとって事実はあまりにも重く痛いものだった
サンタクロースとの思い出だと思っていたものは全てまやかしで、その時に感じていたものはなんだったのか
みかんが食べられているのを見て一緒になって驚いていた父の表情を思い出すと、とてつもなく苦しくなる
自分が食べたということを分かっていながら驚いたフリをしていた時、どんな気持ちだったのだろうか
目の前で驚いている自分の子供を騙しているという自覚はあったのだろうか(騙すなんて気はなく、喜ばせたいという気持ちだだったと思うが)
今更聞いも覚えていないであろうことまで考えてしまう
"サンタクロース"から特別感のある不思議なプレゼントを貰えて喜んでいた時間はなんだったのか
嬉しかったその記憶が何か別のもになってしまった
疑ってから信じていただけに傷は大きい
親が子を喜ばせたいという気持ちはありがたいのだけれど、あまり凝らずに見破られるぐらいがちょうど良いのではないか
もう10年近く経つのにこの出来事はずっと残ったまま、思い出すと辛くなる
死とはなにかを考える
タイトルの通り死とはなにかと聞かれた時、すぐに死とはこういうことだと説明できる人はあまりいないのではないでしょうか。
心臓が止まっている状態のことを多くの人が死と表していますが、自分の手や耳で他人の死を確認する機会は医療従事者でなければほとんどないと思います。心臓が止まってしまえば、数分後には身体の全ての機能が停止し、心臓が動いている時のような意思疎通ができない状態になります。
年に何度か誰もが知る国民的有名人が亡くなりニュースになりますが、その人の心臓が止まっている事を自分で確認することはまずできないでしょう
テレビや新聞などのメディアを通じ、訃報という形でその人が死んだことを認識します。そして、認識して初めて自分の中のその人は死にます。言い方を変えると、訃報さえ知らなければその人は生き続けています。
そもそも、テレビに出ている有名人のことをテレビの画面でしか知らず、本当に存在しているのかも分からないですよね。
本当に存在しているかどうかも分からない人が死にましたと言われてもいまいちピンとこないです
テレビを通して自分の中にその人の存在が形作られていき、訃報を聞き、その人が死んだと思うことによってその人は死んでいる扱いになります。訃報を聞かなければ、死んだと思わないので生きている人として自分の中に存在し続けます。
よく分からないですね。
不幸の報せを耳にした時に何を考えますか
例えば、もうその人に会えない、話すことができない。有名人なら、テレビの中で動いている姿を見ることができないといったことだと思います。過去に放送したドラマの録画やDVDで見ることはできますが、新作は見られないですね。動画でしか見たことがない人が死んでも新作が見られないだけで、その人の存在を知る動画という方法は何も変化していないです。にもかかわらず、死んだ人として見てしまうのは、自分の中に存在していたその人のことを死んだと思い、死んだ人として扱うからだと思います。
有名人でなくとも、知人などの葬式に参列し故人の顔を拝見する機会はありますが、本当にその人本人だと確証を持てたことが私はありません。
視ても相手から視られることはないし、話しかけても返事はなく、触っても硬いだけで、人の顔がついているよく分からない物体としか思えません。しかし、その物体のことを周りの人達は数日前まで動いていた人だと言い張り、悲しみ、葬式をやり、火葬して墓に入れます。
その人本人だと確証を持てていないのに周りの人が悲しみ、葬式や火葬などやるから自分も悲しくなっているのではないか、本当は悲しいと思っていないけど、悲しいと考える人達の中にいるからそう感じてしまうのではないかと思うことがあります。
人と意思疎通をする時に何と意思疎通をしているのか
身体ではなく、身体を通じてその人の本体と意思疎通をしています。
目の前にある身体から発せられた声などの情報からその人の本体の存在を認識し、それに対して身体を使って声や動きという形で反応をします。身体は、身体の使用者の本体の存在を認識しやすくするための道具だと言えます。そして、その本体とはそれ自体を何も介さずに視ることはできません。自分の本体を相手に認識させるために身体を使って声を出したり動いたりしますが、完璧に自分の本体を伝えることはできませんし、伝わったかどうか確認することもできません。相手は、声や動作から感じ取った情報から、本体と思われるものを自分の中に形成し、それをその人として考えています。
心臓が動かなくなったからといってその人は本当に死んでいると言えるのでしょうか
身体によってその人の本体を認識しやすくなっているから、その身体の心臓が止まり、火葬された状態というのは、その人の本体を認識しにくくなっただけと言えますね。
コンピューターは心を持つか
今回はこの疑問にも触れながら人間と同じ''心''をコンピューターという機械に搭載することはできるのかを考えていきます
今日において、我々が何かしらの事象ないしは、事物といった諸対象を認識する際には、どのように遂行されるのだろうか。当たり前のことだが、我々人間は、日常において目で見たものをそこにそのまま存在すると信じこみ疑うことをしない。一例をあげるならば、目の前にあるリンゴは主観的に知覚像として映り、客観的な事物としてそこにあると確信可能であろう。こうした当たり前としての認識の様式は、どのように誕生したのだろうか。この問いに答えることが、「コンピューターは心をもつか」という問いにおいても答えることを明らかにする。
19世紀に科学的な手法である純粋数学という事実学の台頭により、キリスト教の神による世界の創造という物語は、崩れつつあった。
そこでデカルトは、真理とは何かを考えるにあたり、信頼していた自身の感覚からすべてのものを疑った。そして、すべてのものを疑ったあげく、疑うという思考を持った自己の存在は、私が疑うことをしていることから、私という存在は疑う余地もなくそこに存在していると気づき、「我思う、故に我あり」という真理にたどり着いた。思考をしているとき、精神の存在は確実に存在しているといえるが、考えることをしていなければ、身体が存在していたとしても、精神が存在していることを確認することは不可能である。
次に、デカルトは数学者として、世界の総体を純粋数学で説明可能であるとし、検証を行ったことは周知であろう。このあらゆる存在する事物対象(世界という総体)を数学によって法則化するという世界観は、キリスト教世界に代わるものであった。
しかしながら、フッサールによればこの世界観の登場は、今日の我々の思考それ自体をも規定すると警告している。全てのものを法則化できるという実証科学の考え、つまりは、その思考様式は、実証不可能な概念をあたかも実証できるという暗黙の前提を生んだ。実証主義の精神が人文科学や社会科学といった領域に適用されたとき認識の対立や、学の乱立がおこり、今日において相対主義が蔓延したのは、歴史的事実である。
話を戻し、この世界という総体を実証しようとする思考様式を検討したい。まさにこの思考様式を暗黙の裡に自明視していることが故に、我々はある希望的観測を頂く。すなわち、「コンピューターは心をもつか」という問いである。
そもそも心は数値化することができないにもかかわらず、できるかもしれないと推論が働いてしまった。コンピューターは、与えられた数値からあらかじめ組み込まれているプログラムによって解を出すという計算機の枠を超え出ることはなく、意味の認知ができない。ここでいう意味の認知とは、「岡山と広島に行った」という言葉を理解できるかである。コンピューターは、岡山は県か人物、どちらなのかという判定はできない。人間ならば、誰とどのような場面で話しているかといった言葉以外の状況から推測して県か人物か判定できる。他にも、近年若者の間で使われている「エモい」や「やばい」といった、話の流れやその場の雰囲気によって意味が変わる言葉の意味を判定することができない。
すなわち、人間だけに備わる心というものは、情動や過去の経験から意味を類推したり、判別したりする機能を有しているといえる。そして、前述したように心は、純粋数学の対象として認識することができない。よって、人間が認識できる範囲の技術を駆使して作られるコンピューターに心という機能をもたせることは不可能である。
近年のLGBT運動の動きについて
noteに書いたことをそのまま移していますが、現在は以下に記した考えから変わっています。
近年、選挙公約に多様性やLGBTという文言が使われるようになり、Lesbian (女性同性愛者),Gay(男性同性愛者),Bisexual(両性愛者),Transgender(性別越境者)の存在が身近なものとなってきていることが分かる。
これは、以前から身近に存在していた人たちがLGBTという枠組みで可視化されただけにすぎない。
同性愛は、日本で信仰されている神道ではとくに禁忌とされておらず、西欧で信仰されてきたキリスト教では禁止事項だと思われてきた。
それがなぜLGBT運動は西欧で盛んにおこなわれ、抑圧されてきたわけではない日本にまで普及したのか。
前述したように、日本の宗教では同性愛が悪いものだと書かれておらず、古事記では親子間の性交、動物との性交は罪の類として書かれている。
言い換えてみれば近親間の性交、同性間の性交は罪ではない。
さらに、歌舞伎や宝塚歌劇団から分かるように、女装・男装は芸能として発展し、異常なものとして見られていない。
しかし、西欧で信仰されてきたキリスト教では、性について欲望をもつことが罪とみなされ悔悛によって言説化されるよう強制されていた。
そして、ブルジョアジーが血に着目し、社会階級における自己の身体の特殊性を主張するために男女という二項対立の構造を人為的に作り出した。
この構図が人為的に作られた異性愛から同性愛への抑圧と考えられたことでブルジョアジーとプロレタリアートの対立と同じような現象が起き、抑圧されてきた者が立ち上がった結果、性の革命が起きた。
多様性を受け入れるという考えは、単に抑圧されてきたから支持されたのではなく、正しいとされてきた異性愛からはずれ、同性愛者であることを苦しむ人たちを救済する素晴らしいものだったからだと考えられる。
異端を排除してきたキリスト教の考えが覆されるという革命が起き、その熱が日本に伝播してきた。
多様性を受け入れることは自分の性を受け入れることであり、他人も認めることになるので生きやすくなると考えた人たちが賛同した。
さらに、革命思想である共産主義者を中心に政治利用されたことも要因の一つとして考えられる。
厳罰化はより良い社会を作るのか
悲惨な事件が発生する度に厳罰を求める声が聞こえてくる。
池袋の交差点で母と娘の二人の命が失われた事故や、京アニ放火事件といった大衆の感情を揺さぶる事件が起きたことは記憶に新しい。池袋の事故では、逮捕要件を満たしていないにも拘らず感情的に逮捕しろと云う人や、まだ現場検証もままならないうちから死刑に処すべきといった声が少なからずあった。それどころかその感情的な意見に対し、法律を用いて制止しようとした人達は犯人を擁護していると思われ、社会の敵と看做す動きさえあった。
逮捕要件は、刑事訴訟法で定められており、法治国家である以上大衆の一時の感情で変えることはできない。しかし、逮捕要件の拡大や、厳罰を求める声が多くあることから法改正すべきか考える必要はあるのではないか。
確かに、捕まりたくない、刑務所に入りたくない、死刑になるかもしれないという心理にさせるために法律を厳しくし、厳罰化することは犯罪の抑制に繋がるとして正当化されてきた。
しかし、抑制に繋がるという理由で法律を厳しくし、一時的に人権を制限する逮捕の要件や刑罰の基準を下げても良いのだろうか。
犯罪を減らすという名目で過度に抑制するようになった場合、証拠もなく疑わしいという段階で拘束されることになりかねない。前述したような感情を揺さぶる事件が起きたときに、自分は逮捕されないから大丈夫などと安易に考え厳格化を求めていけば、気づかぬうちに自分の行動と拘束される基準が近づいていく。
例えば、ある思想をもつ人が起こした事件をきっかけに、その思想が直接関係がなかったとしても、事件を起こす引き金であるとして法律で制限されたとする。その思想を制限することは犯罪を抑制すると正当化されているため、その時点で犯罪をする気がなくても、その思想を持っているという理由であらゆる行動が制限されてしまう。以前まではその思想を持つことは自由であると認められていたにも関わらず、過度に抑制を求めていけばこのような事態が起きかねない。
法律を厳しくするということは、犯罪を抑制すると同時に自分自身の行動を制限し、自由のない社会へとつながる危険性を孕んでいる。そして、犯罪の抑制と自由の制限との境界線を定めることは容易ではない。そのため、一時の感情に左右されることなく慎重に判断しなければいけない。
800字制限で書いたので内容としては薄いかな
イノベーションのジレンマ / カメラ業界を例に
ブログ移行しました。
今回はイノベーションのジレンマについて調べたので書いていきます。
イノベーションのジレンマとは
既存の商品の優れた特色を改良し続けると、同じ基準で評価をしてくれる顧客のニーズに応える事ができる。しかし、その技術で評価され、市場を拡大してきた大企業は、その技術で評価し続けてくれる顧客を繋ぎ止めることに注力してしまい別の顧客のニーズに目が届かなくなってしまう。
既存の技術が進歩すればするほど新規参入は難しくなってくるが、ここで先に述べた別の顧客のニーズを満たす技術を開発することができれば新たな市場を開拓できる。さらに、既存の顧客のニーズも同時に満たす程技術が進歩すれば大企業が独占していた市場を奪うことができる。
顧客を繋ぎ止めたい大企業が新技術開発をした新興企業に遅れをとることをイノベーションのジレンマと呼ぶ。この理論は1997年にクレイトン・クリステンセンが提唱した。
持続的技術と破壊的技術
持続的技術(持続的イノベーション)
従来の評価基準で評価されてきた技術
破壊的技術(破壊的イノベーション)
従来製品とは全く違う価値を生み出していく技術
持続的技術を伸ばし続けた結果、ある点で顧客のニーズを超える技術が完成してしまう。その後、1つのニーズを満たされた顧客の視線は別のところに向き、新たなニーズが発生する。そこで初めて破壊的技術が注目されるようになり、破壊的技術の進歩と顧客のニーズが一致したところで既存の市場の破壊が起こる。
そしてこの破壊は繰り返す。破壊的技術だったものが持続的技術になり、また新たな破壊的技術が発生し市場の破壊が起こる。
これを繰り返してきた。
現時点で何も注目されていない、無駄な技術、使い物にならないと言われている技術は沢山ある。これらは全て破壊的技術になり得るものだということを覚えておきたい。
だから自分は無駄な技術、使い道がないなんてことは言えない
身の回りで発生したイノベーションのジレンマ
私は、一眼レフカメラやfilmカメラで写真を撮ることを趣味としているため、身の回りにある技術や製品は何かと聞かれると最初にカメラを想像します。
レンズ交換式カメラを大まかに分類すると、古くからあるミラー付きのものと、近年主流になりつつあるミラーレスカメラがあります。
この二つの違いとして、重さや大きさ、シャッター音、ファインダーの見え方が挙げられる。カメラを選ぶときに比べる点は、画質、連射速度、耐久性などがある。これらの違いと性能を持続的技術と破壊的技術に分けて考えてみる。
持続的技術(従来からの基準で評価される技術)
・画質
・連射速度
・耐久性
破壊的技術(違う基準で評価される新技術)
・小型軽量化
・スマホと接続
・タッチパネル
レンズ交換式カメラは、マスコミなどプロ向けに進化してきた。テレビや新聞に掲載することを目的としているため高画質が求められ、スポーツ撮影では、決定的瞬間を逃さないために連射速度やAF(オートフォーカス)速度の向上、野生動物撮影では過酷な環境でも壊れない耐久性が求められてきました。
これらの要求を全て満たす製品は「大きい、重い、値段が高い」という弊害も…
この弊害が生まれたとしても高画質で高速連射が可能であり壊れにくいというニーズには応えているから売れ続ける。
ミラーレスカメラが2008年に登場し、ミラーがないことで大幅に小型、薄型化を実現しましたが、常にセンサーを動作させるため発熱し、熱ノイズによる画質の低下が問題でした。
さらに、小型軽量化を実現したことで衝撃に弱く、撮影と画面に表示するセンサーを兼用しているため撮影画像を読みだしている間のブラックアウト(ファインダー像を表示できない時間)が長くなってしまった。
ミラー付きのカメラの場合、画像を読みだしている間でもミラーに写った像を見ることができるのでブラックアウトの時間はほぼありませんでした。
従来の顧客から求められている持続的技術(連射性能)を損なってしまった魅力の無い製品だといえます。
SNSの発達によりだれでも気軽に日常風景の写真を投稿することができるようになった。
特に写真共有をメインの機能としたInstagramの登場によって気軽に写真を投稿する流れが加速し、スマートフォンやコンパクトデジカメよりも綺麗な写真を載せたいと考える人が増えてきました。
SNS投稿を目的とした人達の求めることは、スマートフォンやパソコンの画面で見る程度の画質であって、テレビや新聞の大きさへ拡大できる画質は必要ない。
また、気軽にカメラを持ち歩くことの枷になるのは重さと大きさで、過酷な環境に行くわけではないので耐久性は落ちても小型軽量が求められる。新規の顧客の要求は従来の顧客に評価されなかったもので満たすことができる。
実際にミラーレスカメラの登場で新規参入が起き、従来のカメラ路線を保つメーカの売り上げが減少しました。
技術の進歩により小型軽量を保ったまま従来の顧客(プロカメラマン)の要求にも応える高画質モデルが登場し、デジタルカメラ市場は一眼レフカメラからミラーレスカメラに変わろうとしています。
NikonやCanonといった一眼レフカメラ市場を独占していた企業がミラーレス市場の参入に遅れを取り、SONY、OLYMPUS、FUJIFILMは一眼レフカメラ市場では目立たなかったがミラーレス市場ではリードしている。(オリンパスはカメラ事業から撤退しました)
持続的技術が破壊的技術によって市場が奪われている光景を実際に確認することができました。
今、役に立たない、魅力がないと思われている技術が数年後にはどうなっているかわからない。使えないまま消えてしまうかもしれないし、社会の多くの場所・分野で必須になっているかもしれない
新しい技術がどのように進化し、それがどの程度社会に必要になるのかを予測えきるようになりたい