月花凪(TukikaNagi)

冷蔵庫の中を見て献立を立てる主婦の思考

梅雨とHEMP

今週のお題「やる気が出ない」

頭は痛いし、体も重く胸に気持ちの悪い感覚が付き纏う毎日で梅雨が目前に来たと実感しています。

 天気が悪いせいか気分が落ち込み、体調が悪くなり、さらにまたそのせいで気分が落ちていくの繰り返し。

底を知らない気分の波

底を探る動きも見せずただ落ちるばかり

数ヶ月前からHEMP(麻)を吸っている

私の場合、吸うと頭の曇りも引いていくし、胸のもやもやした感覚もやわらぐ

今年の梅雨はこれでなんとか乗り切るしかないね

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これを使っている。

そろそろリキッド買わないとなぁ

使い始めの頃は麻の香りになれなくて不味いと思ったけど、最近は慣れてきたし苦じゃないどころか美味しいww

 

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私の死生観の起源と今後

自律神経失調症で手足に力が入らなくて足がピリピリする(貧血なのかな?)こういう状態のときに生を実感する

生というものは、生まれてからずっと通常だったものがそうでなくなってきて初めて実感するものなんだと思う。

普通の感覚ではないことを感じてやっと分かる

去年同居している祖父(父方の)が死に、19歳にして初めて身近な人の死を経験した

正確に言うと幼稚園の時に曽祖父が死んでいるが、まだ年齢的に何も分かっていなかったので悲しみも泣きもしなかった。

 いや、何も分かっていなかったのではなく、今と同じ状態だったのだと思う

 他人の宗教観、死生観をまだ知らない真に純粋なときに経験した死と、19歳で経験した死の間には違和感があった

 その違和感は、幼稚園のときの"何も感じなかった"という感じと、暮らしていく中で宗教(日本なので主に仏教)やそこから生まれる死生観を内に取り込み、他人の思考が介入したことから発生する差からくるものだ

 死とは何かと考えた時に追い求めていたのは幼稚園の時に経験した死の感覚で、それに近づくために宗教や他人の死生観を取り払う作業に必死に取り組んだ

 初めて経験した死のその時の感覚を求めた結果が今の死生観になっている。

なったというよりは感覚を取り戻したのだと思う

 死については以前詳述しているのでそちらを参照してほしい

wilhelog.hatenablog.jp

 19歳のときに経験した死は、死の意味を分かったから悲しくなったのではなく意味を付与したからであり、それは、日本の宗教、葬式という場やそこにいる人が作り出す空気が作り出した意味で、正しくも的確でもなければ自分の感覚とは一致しない

 私の場合は、幼稚園のときの死を何も感じないと感じたが、そうではない人もいるだろう

人の感覚は人それぞれ異なるのだからその感覚が違えば死生観が異なるのは当然であろう

 少し話が逸れるが、命に価値を見出さない人ならば自己肯定感など無意味に感じる

学校教育では、全ての命はかけがえのないもので価値があると言い聞かせて自己肯定感を高めようとしているが、生きるために他の生物を殺している。生き物を食べない主義の人でも知らず知らずのうちに殺している(微生物など)

全ての命は大切だと説いておきながらなぜ他の命を奪うのか理解できない

生きるために命を奪うから感謝をして頂きましょうのような言葉が不思議でならない

こういうところに欺瞞を感じてしまうから自己肯定感という言葉や、もっといえば道徳が苦手だ

他の生物の命を奪うから私は自分の命に価値があるとは思っていない

他の生物と同様に殺されるときは殺される、そういうものでしかないと思っている

 これは書くか迷ったが、今私には母方の祖父母とその兄弟や父方の祖母など関わりの深い親戚が複数まだ生きている(まだとか言っていいのか分からないけど)

全員歳は70を超えているし、私に比べたら先は長くない

そういう人達が死んだときに何を感じるだろうか

もちろんその人の死自体を望んではいないが、死の感覚には興味がわいてしまって複雑な感情になっている

最近、昨年感じた死の感覚が薄くなってきているような気がしている。

恐らく私の哲学のテーマは"死"になるだろうから、さまざまな距離の人の死を経験したときの感覚それが鍵になる

ジャンケレヴィッチも読んでいきたい

"死"を知ることへの欲求とこれから長く付き合うことになるだろう

 

wilhelog.hatenablog.jp

 

おまけの写真

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自己肯定感は低くてもいい

自己肯定感は低くてもいい

私は自己肯定感が低いとよく言われる

自分ではあまりそう思わないが、性格診断などのテストをすると自己肯定感が低いという結果が出る。

何度かそういったテストの結果が原因でカウンセリングを受けたことがあるが、全く改善しなかった。ここで改善と言ったのは、一般的に自己肯定感が低いことは直すべきこととして扱われているからであるが、自己肯定感が低いことは何が問題なのだろうか。

自己肯定感は、ありのままの自分を肯定すること、根拠なく自分を肯定することだとされており、自己肯定感が高いことで前向きな気持ちになったり、自分の軸を持てるようになるとされている。

自分の軸を持つことで他人の軸で生きるのではなく、自分が主体的に決め、人生を豊かにできる。

また、自分自身を認めることで、自分の判断に自信を持って価値観をしっかり確立することが可能であるとされていることから自己肯定感を高めることは善いことだと扱われている。

 


自己肯定感が高いことで起きる利点として挙げられたことは本当に自己肯定感が理由なのかその検証が不十分だと思う。

自己肯定感が低いからといって即時的に自分の軸がないとは言いきれないし、自己肯定感が低ければ低いなりに価値観を確立する。

自信を持って価値観を確立する必要はない

自分の価値観に対して疑問を感じ、思考し続けていけばいいし、そうすべきだと思っている

 


自己肯定感が低いことを問題とし、上げなければいけないとする社会・学校教育こそ自己肯定感が低い人を否定し、悩ませている。

自己肯定感が低い人に低いままでいいと言うことこそが自己肯定感を上げる事に繋がると思う。

自己肯定感が低いことは何も問題ないけど、こんなことを言っても社会全体の価値観は変わりそうにないので、自己肯定感が低いことを悩み、上げないといけないと言われている人に向けて

屁理屈のように聞こえるかもしれないが、自己肯定感が低いことを問題視された時にこう言ってやればいい。

自己肯定感が低いということを悪い事だと思わず、肯定しているのだから自己肯定感は高いですと

自己肯定感が高い状態がありのままの自分を受け入れることなら、低いままで良いとしてしまえばいい

根拠なしに自分を肯定することは難しいが、低いということが分かっているならそれを逆手にとるといいかもしれない

 


誰か他人に、他者と比べられない部分で評価されると嬉しい

他者と比べられない部分というところが重要ではある

かといって自己肯定感が上がるわけでもない、たぶん自己肯定感が上がらない人はずっと上がらないんだと思う

 

 

 

いじめ問題とその解決の糸口を探る いじめは絶対悪ではない

 今もまだそうだが、いじめに対して考えが十分にまとまっておらず、いじめ問題に対して言及することを避けてきたが、一先ず現時点で感じていることを書いていく。

 まず最初に述べておくが、私はいじめを悪だとは思っていない。

 

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https://www.photo-ac.com/main/detail/4733031

いじめは定期的に問題になり、SNS上では数多くの意見が交わされているが、それを目にする度にいじめが無くなることはないのだと感じる。

最近では旭川少女いじめ凍死事件が大きく話題となっている。

いじめを表立って肯定する人はあまり見かけないが、いじめは悪いことだから絶対にしてはいけないと声高に叫ぶ人は多数見かる。

私は、いじめを絶対悪とする彼等こそが一番のいじめ肯定者であると考えている。

いじめ問題のときに感じるよく分からない気持ちの悪い感情は、いじめを悪としながらもいじめ加害者をいじめ加害者という理由で「いじめられて自殺した人」よりも命の価値がないとし、「殺せ、(法律の範囲を越して)重い罰を与えろ」という言説が少なからず見受けられることに起因していると考えている。

この言説は、「いじめられたら私や社会があなたを攻撃(晒すなど)しますよ」という抑止力的構造であっていじめを悪としている前提と矛盾しており、いじめを肯定するものである。

 

善悪を持ち出しているにもかかわらず、いじめ問題を扱うときに善悪の定義について議論されることはないままいじめは絶対悪とされテレビなどのメディアをはじめ各SNS上で語られ、その中で加害者叩きは珍しいものではない。

いじめを絶対悪とすることで加害者への加害は正当化されているが、果たしてその加害には正当性があり、その根拠としていじめは悪なのだろうか。

「いじめは悪なのだろうか」という疑問を呈することすらしてはいけないという空気があるが、いじめを減らすためには、いじめは絶対悪とした上での学校教育や個別事例などの具体的なところから議論をしても意味がない。

 

前述したようにいじめは絶対悪なのだからいじめ加害者を加害してもいいという現状では、発端となったいじめにも正当性を与えることになり、このような状態ではいじめを減らすことはできない。

まずやるべきことは、いじめは絶対悪なのかという根底から問い直すことである。

問い直したところでいじめが世の中から完全に無くなるとは考えていないが、いじめは悪なのかという疑問を抱いた人にとっては効果があるのかもしれないし、納得した上でいじめをする気にならなくなる可能性はある。

いじめをすることで快楽を得て幸福になっている人は、相手に左右される幸福を求めているから幸福になる手段として非効率

周りが~とか社会が~とかは関係なく自己で完結するものだから善悪の問題ではない

いじめ被害者は100%悪くないかどうかという議論は自分からしたらどうでもいいし、そんなことで言い争っても何も変わらないどころか悪化するだけだと思う。

いじめられて自殺しても同情しないし、好きにすればとしか思っていない。

そもそも自殺や死に対しての考え方が人によって違うし、この溝は他の価値観よりも特別埋めることが難し

SNSのいじめで自殺したというニュースの投稿には加害者を晒せと言ったり、死刑にしろというコメントが多数あるけど、いじめの復讐手段として確立されてしまう危うさを感じている。

いじめはやってもいいことだと言ったら、ほぼ確実にいじめ反対の人たちから攻撃されるよね。いじめは悪だから

じゃあなんでいじめは悪なの?といったときに説明できる人ってなかなかいないね

そういうところ気持ち悪いなぁと、どの口がいじめられる側は100%悪くないとか言っていたんだかな

 あなたからしたら悪だけど別の人がみたときにそれは同じように悪に見えているとは限らない。

他のことでもそうだけど、善悪の問題ではないことが善悪の問題として扱われて誤謬を犯していることは多々ある。

善悪で語られていることの大部分がそうだと言っていいのかもしれない

今のところはこれぐらい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは間を開けて書くけど、例えば、不快に感じる顔の人がいたとして、不快を解消したいというのは人間の本能的な衝動だから、そのために不快に感じる顔の人を排除することは仕方ないのかなぁと思っている。顔や容姿でいじめてはいけないと言われているけど、ならばいじめずに我慢して不快を感じ続ければいいのかという話になる。

いじめられるという不快から逃れたいと望むように、顔が原因だとしても不快にさせるものから逃れたい(相手を不登校,自殺に追い込むなど)と考えることは自然なことだと思う。

いじめられる側は100%悪くないなんてことはない

いじめはやってはいけないことだと小学校でも言われるし、テレビのコメンテータも言っていてそういうのを聞いていてもどこか腑に落ちないし、説得力を感じなかった。

この記事を読んで怒る人いそう。怒らせたいと思って書いたわけではないけどね

怒りの感情

最近怒りの感情が出てこない、湧いてこないというより欠如している感じ
元から怒りっぽくはないんだけど、嫌だぁと感じたら気分が落ち込んだり、ただ静かにしょぼくれてるだけで、怒り??という感じ
まあそれでいいんだけど、今なら何されても怒らないと思う、ただ静かに悲しんでるだけだろうなぁ
呆れることはあってもそこから怒りに転じないね

 

少し前に怒る練習している御フェミ様達がいたけど、無理やり怒らなくてもいいのにと思っていた
怒らないとその活動はできないのかなぁ
怒らないと話を聞いてもらえないというのはあると思うけど、それは真に話を聞く耳を持った状態ではないと思う。
怒ると余計な言葉が増えて要求が埋もれてしまうし、根本的な改善には繋がらないでしょう
相手に何か理解させ、変えさせたいことがあるならば淡々と相手の落ち度を指摘したあとにその部分をどうして欲しいのかを伝えたらいいと思う。
最初に怒りながら要求を伝えても、何が悪いのか認識できていない状態では、相手は要求を飲み込むことができない
ここで重要なのはこちらの落ち度を作ってはいけないということ
相手の落ち度を徹底的に指摘して変えさせるのだから反対にこちらの落ち度を指摘されることがあってはいけない。
もし落ち度があったとしたらそれを相手に察されないように振る舞うことと、大したことないものだと見せかけることが大事

怒っている状態だと、つい要らないことまで口にしてしまうと思う

怒っているという感情を相手にぶつけてもあまり意味が無い、淡々と逃げ道を塞いでいき、逃げ道として要求を提示したらいい

御フェミ様のような活動家は炎上させて話題にさせるのと同時に上述したような方法をとれば良いのにと思った

いつもただ怒っているだけで冷静さが足りない

 

疲れないSNS「Gravity」を試した感想

ブログ移行しました。

tukikanagi.wordpress.com

 

この感想は、記事公開(2021年4月13日)時点での感想であり、アップデートによりアプリの内容が変わっている可能性があることをご留意の上お読みください。

 

 

 疲れます

疲れないと謳っていますが、個人的な感想としてTwitterInstagramなど既存のSNSよりも疲れます。その理由を書いていきます

 

 

apps.apple.com

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TwitterのDMにGravityのスタッフを名乗る方からアプリを使用した感想を書いて欲しい(PRと明記の上)という趣旨のものが送られてきました。

Twitterの検索機能を使用し、Gravityと打ち込むと検索候補に「Gravity ステマ」と表示されていたので覗いてみると、PR表記をしていないツイートが多数存在し、ステマ疑惑が浮上しているとのこと

私の場合はDMにて「ツイートする際はPR表記をお願いします」と書いてありましたが、既にステマ疑惑が出たあとなので文面を変更したと思われます。実際に、PR表記の注意が書いていないDMのスクリーンショットを載せている人を何名か確認しました。

PRの謝礼はフォロワー数によって変動するようで、私の場合はAmazonギフト券2000円分でした。

 


GravityというSNSの存在を知りませんでしたが、DMの文では、映えや見せびらかしとは異なる、人の内面を大切にした疲れないSNSを目指していると記載されており、SNS疲れを感じていたのでちょうど良いと思い一度試してみることにしました。

 


私はiPhoneを使用しているのでAppStoreからインストールし、その際に、アプリの概要を読んでみると、社会的立場や外見などは重要視されず、性別・年齢・出身・職業にこだわりなく会話を楽しみたい人におすすめということが書いてありました。

Gravity(グラビティ)は共感しあえる人と繋がり、自分の気持ちや考えをシェアできる癒されるやさしいSNSです。

 

このアプリでは社会的立場や外見などは重要視されません。リラックスして自分の気持ちを打ち明けてください。また、他の面白い星との出会いもあることでしょう。異なる星同士で引き寄せ合い、温かい力を分け合いましょう。

 

ユング心理学に基づいた、6問の性格診断テストであなたの性格タイプを明らかにします。さらにあなたの星にぴったりのほかの星を、ビッグデータ分析でオススメします。

 

まわりの星に本来のあなたを伝え、思いが伝わった星と繋がります。このとき星と星の間に生まれる、人と人、心と心を繋げる作用を持つのが「Gravity」です。

 

出典:App store Gravity https://apps.apple.com/jp/app/gravity-%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3/id1543177337


メールアドレスのみで会員登録ができ、それ以外の情報は必要ありませんでした。

最初に6問の心理テストをやり、その結果から性格のタイプが割り当てられます。

 

 性別は男か女の2択(今後追加される予定)で、アイコンは男女それぞれ9種類から選ぶようになっています。

これで初期設定は完了です。

 

私は、外的性格が「創造者」で内的性格が「賢人」でした。

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自分のプロフィールページに性格診断の外的性格のみ表示されます

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性格診断は一度しかできず、プロフィールに外的性格を表示しないことも選択できません。

ここまで、アプリ利用の流れを書いてきましたが、ここから感想を書いていきます。

 

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まず、私は、自分に合う合わないの判断材料としてアイコンは重要だと思っており、自分の基準でアイコンから受ける印象でフィルターをかけています。アイコンを男女それぞれ9種類の中から選ぶようになっていることでそのフィルターを使うことができず、プロフィールに表示されている性格タイプと投稿を深く読んで判断しないといけません。この時点で手間が増えます。

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最初の性格診断では6問で性格を判断され、プロフィール画面に強制表示されてしまいます。勝手に判断された性格の看板を背負わされますし、性格診断の結果は正確とは言い難く、本当はその性格ではないのに周りからは与えられたタイプの性格だと見られてしまいます。

そういった外見に縛られないSNSだと思っていたら違いました。

何よりたった6問で自分の性格を決めつけられるのが嫌

個性の出るアイコンを失くし、正確かどうかも分からないタイプを割り当てられ、その狭い枠に抑え込まれる不自由さを感じた

 


6問の性格診断なんかより、アイコンやプロフィール、投稿から自分の感性で性格判断する方が精度が高いと思う

アイコンを自由に選ぶことができれば、風景、自撮り、イラストなどジャンルも多く、その雰囲気に個性が反映されるため正しいか分からない診断よりも人物像が反映されている。

 

社会的立場や外見などは重要視されない、性別・年齢・出身・職業にこだわりなく会話を楽しみたいと書いてあるにもかかわらず、男性は青、女性は赤の背景で固定されているのが矛盾していると思う。今後選べる性別の種類は増えるとは書いてあったが、性別によって選べるアイコンが限られる仕様ではいつまでもステレオタイプから抜け出せない。

いっそのことアイコンなんてなくせばいいのにと思った


せっかくアイコンを自分で好きなものを選択できないようにし、先入観を無くそうとしているのに性格診断の結果を強制表示させる仕様はマイナスでしかなく、さらに、文だけで相手の内面を読むことは難易度が高いため、TwitterInstagramよりも直感的に自分と合う合わないを判断できないから疲れるSNSだと感じた。

疲れない、属性に囚われないといったこのSNSの目指すところと仕様が合致していないので目的や説明通りのものを想定して始めると戸惑うと思った

疲れないSNSはこれではない

私には合わないと思ったので一日と待たず退会した。

アプリのデザインはシンプルで操作は難しくない

静かに淡々と投稿したい人には向いているかもしれないが、別のSNSで事足りるし、おすすめ欄には全く接点のない人の投稿も表示されるのでクソリプが来ないとは限らない。

相性が良い人(機械的にそう判断された)を探すことは容易だが、その人の性格が本当にプロフィールに表示されているタイプなのかは分からない

結局のところ利用するユーザの質に委ねられる

リリース当初は他のSNSに疲れた人、説明通りのSNSを求めて来た人が集うかもしれないが、悪質ユーザが発生するのは時間の問題だと思う。

まだリリースから3ヶ月しか経っていないので今後のアップデートでどう変化していくのでしょうね

 

最近、私は主にFacebookとhatenaブログを使用している

ブログは文字数を気にせず好きなだけ自分の考えを述べることができ、Facebookでは他のSNSで知り合い、気心の知れた仲の人しかいないため気が楽

SNS疲れを感じた人はGravityのように新しいSNSに乗り換えて合うかどうか試してみたり、今現在使用しているSNSの使用の仕方を見直してみるといいと思う

 

内在化された他者のまなざし

大勢の人の眼差しにさらされることは誰しも経験していることだろう

例えば、学校の授業内での発表会・社内でプレゼンテーション・習い事の発表会など、人それぞれだがその機会は数多くあり、中には避けて通れないものもある

このような場面を苦痛に感じる人とそうでない人がいる。身体は常に、他人は自分をどう見ているのか、自分は自分のことをどう見ているのか、この二つの眼差しに晒されている

大勢いればいるほど、自分のことを実際に何人が視ているのか分からなくなり、恐怖や苦痛を感じることがある

この誰かに視られている感覚が表れる時、実際に他者から視られているかどうかは関係なく、自分の中に存在する他者の視線に晒され続ける限り感じてしまう

いくつかの視られているいると推測できる根拠があれば、事実に反して視られていることになり、一度他者の眼差しを内在化してしまうとそれを消すことは難しく視られているかもしれないという恐怖は消えない

人によりこの感覚を何とも思わない人もいれば嫌だと感じる人もいるが、この感覚は何とも思わない人には理解することができない

できる人もいるかもしれないが、理解していることが分かる言動をする人は少ないと思う

同じように嫌だと感じる人には何人も出会ったことがあり共感するのだが、何とも思わない人・好きな人と話している時は否定されることが多かった

理解できなくとも否定しなくてもいいのになぁと思っていた

最近人前に出る機会があって、結果的に回避はしたものの最後まで分かっていなかった

人前に立って発表するが標準から固定されなくなればいいのに

人前で発表する以外の選択肢が欲しいですね

 

 

 

 

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